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2015年3月5日木曜日

ちょっとイザヤ書の勉強をしよう

今日の聖書の箇所がイザヤ書の6章とあるのでイザヤ書を少しばかり勉強してみようと思った。
最近 kindle を頂いたので早速 Orthodox study bible をポチして少しずつ読んでいる。英語は苦手だからいっぺんには読めないので、、、。

イザヤ書 
6:1 ウジヤ王の死んだ年
ウジヤ王が死んだ年について:
聖書学者はこの出来事はBC734と考えている。
師父たちは王の罪が元でこの時に預言が成就したと教えている。(歴代誌第二26:18を見よ)
/* The Fathers teach that the sins of the king caused prophecy to cease for a time
の訳はこれでいいの? prophecy to cease は預言の成就という意味であってる? */
(歴代誌下26:18以下では、ウジヤは祭司でないのに祭壇の上に香を焚こうとしたことで祭司アザリヤに咎められる様子が書かれている)
6:1-12 この個所は、大齋第二週の木曜日と2月2日(グレゴリオ暦2月15日)の主の迎接祭で読まれる。
6:6-7 この時セラピムのひとりが火ばしをもって、祭壇の上から取った燃えている炭を手に携え、わたしのところに飛んできて、わたしの口に触れて言った、「見よ、これがあなたのくちびるに触れたので、あなたの悪は除かれ、あなたの罪はゆるされた」。
燃える炭を口に触れる:
イザヤのこの体験はユーカリストの象徴であり、信仰による働きによって祭壇から取られたものである。実際、正教の司祭は領聖後にセラフィムの宣告を静かに引用する。(7節)
/* In fact, after an Orthodox priest receives communion, he quietly quotes the seraphim's proclamation(v7).
の訳はこれで正しいのだろうか? */
司祭は領聖後にこの祝文を唱えるのかな?と疑問に思ったので奉事経を確認。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/988164
スライドの95コマ目
本当だ
「視よ、此れ我の口に触れたり、乃我が不法を除き、我が罪を浄めんとす、」
と書いてある。
6:1-6のイザヤの視点は正教のハリスティアニン等の礼拝に強い影響と発展をもたらす。
教会では、天国のように、宝座(祭壇)を持ち、香の煙が焚かれ、信者たちは「聖なるかな聖なるかな聖なるかな」の聖三祝文を歌う。
/* これは、どうやって訳せばいいのだろうかと悩んだ。単に単語を並べただけみたいになってしまっている。
Isaiah's vision has strongly influenced the development of Orthodox Christian worship. For the Church, like heaven, has an altar, a throne, smoke from the incense, and believers singing "Holy, holy, holy," the Thrice-Holy Hymn. */
次、
 主は言われた、「あなたは行って、この民にこう言いなさい、『あなたがたはくりかえし聞くがよい、しかし悟ってはならない。あなたがたはくりかえし見るがよい、しかしわかってはならない』と。
あなたはこの民の心を鈍くし、その耳を聞えにくくし、その目を閉ざしなさい。これは彼らがその目で見、その耳で聞き、その心で悟り、悔い改めていやされることのないためである」。
そこで、わたしは言った、「主よ、いつまでですか」。主は言われた、「町々は荒れすたれて、住む者もなく、家には人かげもなく、国は全く荒れ地となり、
人々は主によって遠くへ移され、荒れはてた所が国の中に多くなる時まで、こうなっている。
その中に十分の一の残る者があっても、これもまた焼き滅ぼされる。テレビンの木またはかしの木が切り倒されるとき、その切り株が残るように」。聖なる種族はその切り株である。(6:9-13)
人々は罪を選ぶのであって自然に犯すのではない、意志によって彼らは聞くのを止めそして目を閉じる。
/* ここも訳に自信がない。
People sin by choice, not by nature, volitionally stopping their ears and closing their eyes. */
とりあえず今日はこれでおしまいにしよう。

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