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2015年3月6日金曜日

今日の聖書:イザヤ書7:1-15

今日の聖書箇所はイザヤ書の有名な預言が含まれる部分なので頑張って読んでみよう。
その時、主はイザヤに言われた、「今、あなたとあなたの子シャル・ヤシュブと共に出て行って、布さらしの野へ行く大路に沿う上の池の水道の端でアハズに会い、(7:3)
ヘブライ語の語句で「シャル・ヤシュブ」は「残りのものは戻るであろう」という意味である。 だから、イザヤの息子は確証の象徴であり、残りのものを癒し救うというアハズ王への主の約束である。イスラエルとスリヤ(シリア)の王たちに関しては卑劣な表現で扇動するが、彼等は永続的な損害を与えることはない。

/* The firebrands are an expression of contempt for the kings of Israel and Syria, but they will do no permanent damage. */

7:10-16 この節は主の降誕祭の前晩に読まれる。

7:13-16 アハズ王には印は与えられなかった、彼ははじめから預言を疑っていた、しかし全てのヘブライの民には与えられた(金口)。この救世主に関する預言は処女マリヤがキリストを産んだ時に成就した。
それゆえ、主はみずから一つのしるしをあなたがたに与えられる。見よ、おとめがみごもって男の子を産む。その名はインマヌエルととなえられる。 (7:14)
ヘブライ語の単語 almah は「未婚の女性」で、「隠れた処女、しばしば男の視界から遮られた」(ヒエロニムス)を意味する。

/* designates "a hidden virgin, shut off from the occasional sight of men"(Jerome). */

ギリシャ語のLLXでは parthenos という単語が使われていて、それは「処女」の意味である。

インマヌエルの意味は「神は私達と共にある」でキリストの神性を表している。メシア(救世主)が子供(v16)として来ることは彼の人性を表している。

/* Messiah coming as a Child(v.16) refers to His human nature. */

ヘブライ語原典の聖書では「若い女性」で「処女」かどうかはっきりしないがギリシャ語七十人訳では「処女」という意味の単語が使われているという話は伝道会で何度か聞いた話でもあるが、ここで使われている英語の表現ではどうなっているのか十分に理解できていないので訳すのが難しい。

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